ベニー・グッドマンは天オ肌の音楽家の典型のような人だった。演奏能力の劣る人に対しては冷酷で容赦ない人だったが、優秀なミュージシャンに対しては温かい讃辞で迎え、黒人に対する差別や偏見とも縁のない人だった。多くの慣習を破って自己のバンドに黒人のメンバーを登用した最初の白人バンド・リーダーでもあった。彼には音楽や仕事やなにかのことを考え始めると、一切の外界の事象が頭に入らなくなるという困った癖があった。
ある日ペギー・リーと彼が、RCAのビルの外で待っていたタクシーに飛び乗ったときのことだ。運転手は行く先を言ってくれるのを待って、動かずにじっとしていた。しかしベニーは数分のあいだ静かに座席に坐ったままだった。
少したつと運転手はしびれを切らしたのだろう。
「で、だんな?」とうしろに問いかけた。
ベニーは顔を上げると慌てて財布に手をやった。
「あ、そうか。で、いくらだね?」