【研究】キャンザス・スィティ Kansas City(KCという街 改題) アメリカは、1776年の独立以来、東部から西部へと開拓され発展していった。その開拓発展は、厳密には17世紀初めの黒人奴隷輸入あたりから始まっているが、このキャンザス・スィティが発展し始めるのは、19世紀になって鉄道が引けてからである。
【研究】コックニー Cockney 映画『My Fair Lady』ではオードリー・ヘプバーン扮するイライザがロンドンの下町訛りコックニー Cockney を盛んに喋べる。「a がちゃんと発音できるようになるまでは、今日は昼飯も晩飯もチョコレイトも抜きだ」とヒギンズに徹底的にしぼられて、頭にきたイライザは次のように言う。
【研究】キャピトルの産みの親 キャピトル・レコードは作詞家のジョニー・マーサーがポール・ウェストンほかの音楽家仲間と協力して作った会社だが、当初は利益など無視していい音楽作りにはげんでいたため、会社としては小さいままだった。そもそも作曲家や作詞家が社長や重役に収まったからだが、いろいろな意味でいいレコードを作るように徹底した方策をとった。
【研究】ボサノヴァについて ボサノヴァの定義は非常に難しい。ボサノヴァはブラジルの音楽家たちがアメリカの巨大市場を目的に、サンバをアメリカ人にも判るように易しく単純にしたものだとか、反対にアメリカ人が自分たち向けにサンバをまるでインスタント食品のように気の抜けたものに作り上げたのがボサノヴァだとか、従ってボサノヴァとはブラジルにはなくアメリカの音楽、アメリカのブラジル風音楽だ、という極端な説もある。
【研究】時間へのこだわり([The Days of Wine and Roses]についての考察) この〝The days of wine and roses 酒と薔薇の日々〞という言葉は、英国の詩人アーネスト・ダウソン Earnest Dowson (1867-1900)の詩の一節からの引用だが、その一節を参考までに記してみよう。
【研究】音楽家の実像 ’60年代は人種闘争が荒れ狂った時代で、マックス・ロウチとアビィ・リンカーンの人種闘争をそのままジャズに持ち込んだようなレコードもあったが、日本のジャズ評論家はそういうものを「ジャズに政治を持ち込んではいかん」とかなんとか言って酷評していたものだった。
【研究】日米比較論([Wives and Lovers]についての考察) この歌はなにかおかしく笑えてくるような歌詞で、われわれにも興味深いものだ。ただその内容は考えていくと、日本人にとって大きな問題を含んでいると言えるかもしれない。すなわち、日本人の女性は自分が家にいるとき、つまり亭主がそばにいてもだが、カーラーを巻く。
【研究】仮面と言葉([This Masquerade]についての考察) 仮面舞踏会の仮面 mask という言葉はラテン語の仮面 persona という概念が下敷きになっている。この persona という語から、のちの英語の〈個人〉を意味する person という語が派生したことから判るように、そこには個人、個性という意味も込められている。
【研究】歌のなかの様式性と現実性([Guess Who I Saw Today]についての考察) こういう歌が日本人に好かれるかどうかはともかくとして、日本のジャズ歌手はこういう歌がうまく歌えないというのが現状ではないだろうか? 発音が依然として英米人に判るようなものになっていないことが一つだし、歌を歌うときの心構え、その精神が欧米と日本とでは未だに大きく違うということがもう一つである。