【研究】パリの運転事情 以前、テレビでよくある世界中を旅行したり食べ歩きをしたりして、あいだにクイズを挿んでいく番組を見ていたときだった。パリについての問題が出て、①パリの街なかでは人が遺跡を横断すると車は停まって渡り終えるまで待ってくれる、②パリでは車が人に譲歩することはまったくなく、信号のないところでの横断は危険だから絶対にしないこと、そして忘れてしまったがもう一つなにかがあって、計三つの選択肢から正解を選ぶというものだった。
【研究】オスカー・ハマースタイン二世のエッセイ 3(曲づくりにおける制限と自由の均衡) さて、この音楽を先に書きあとから言葉をつける習慣は奇妙で不合理なものだが、それでいてまったく報われないものというわけでもない、とオスカー・ハマースタイン二世は主張している。
【研究】オスカー・ハマースタイン二世のエッセイ 2(曲のリズム、韻律と作詞術) もう一つの理由は外国に関係するものではなく、純粋にアメリカのもので、それはいわば〝壊れてきたリズム the broken rhythm〞だという。
【研究】オスカー・ハマースタイン二世のエッセイ 1(ヨーロッパ、ロシアからの移民の作曲家) ヨーロッパ、ロシアからの移民の作曲家は19世紀末から今世紀初めにかけて非常に多くアメリカに渡ってきている。アーヴィング・バーリンを初めとして、ヴァーノン・デュークはもちろん、[Be My Love]のニコラス・ブロツキィ然り、[Wild Is the Wind]のディミトリィ・ティオムキン然りである。
【研究】エセル・ウォーターズ([Taking a Chance on Love]についての考察) この歌は二番を省いて一番と三番を歌う人が多いが、ウォーターズもそうしているものの、彼女はそのあとに滅多に聞かれない四番を歌っている。
【研究】ガーシュウィン兄弟 次の日ヴァースをつくり始めるときのことを、アイラは著書でこう書いている。──「ジョージ、アイルランド的なヴァースはどうだい?」と僕がそれだけ言えば充分だった。彼はすぐに僕が言わんとしている〝思いに耽っているような孤独さ〞を感じとった。
【研究】著作権([Bei Mir Bist du Schön]についての後日談) さてこの曲[Bei Mir Bist du Schön]にはまだ著作権についての後日談がある。カーンは楽譜の出版元のカーメン社(J & J Kamen)に行き、その社主で双子のカーメン兄弟と交渉した。
【研究】コウル・ポーター 1 コール・ポーターがこの曲をつくった経緯については色いろなことが言われてきている。一説には彼がフランス外人部隊にいてアルジェリアでつくったとかいうし、またオランダ領東インド、アロール島のカラバハヒ Kalabahai (または Kalabahi)という小村の原住民のリズムからインスピレイションを得てつくったという説、ポーターがニューヨークのウォルドーフ・アストリアに泊まっていた(事実上住んでいた)とき当時売れていたラテン・バンドのザヴィア・クガトも同じく泊まっていて、彼との会合から生れたという説もある。
【研究】ファッツ・ワーラー ワーラーは自分の書いた曲をはしたがねで売ってしまうという気前のよさで有名だったようだ。二、三百ドルとかときには百ドル以下の額で売ってしまったり、フレッチャー・ヘンダーソン Fletcher Henderson にハンバーガーを九個おごってもらい、九曲書いて返したこともあった。
【研究】命令形、使役動詞の訳 命令形、使役動詞は英語には非常に多い。日本語でもないわけではないが、日本ではその使用は親子や夫婦やごく親しい関係に限られ、そうでない場合は地位や立場の上下に強く律せられているのが普通だ。