【研究】ヴァレンタインズ・デイ ヴァレンタインズ・デイは聖ヴァレンタインを祝う日として知られている。しかしこのヴァレンタインなる人物はカトリック教会の公認するところでは少なくとも三人いて、それも伝説ばかりで確実な証拠はなく、すべてがあまりはっきりしていない。
【研究】ワイルダーのロジャーズ論 アレック・ワイルダーの作曲家に対する批判はいつも辛辣だ。だがもちろん褒めるときも単刀直入で言葉に濁りがない。彼のリチャード・ロジャーズ論をその著書《American Popular Song:The Great Innovators 1900-1950》(Oxford University Press, 1972)からかいつまんで紹介しよう。
【研究】ロレンズ・ハート 3 リチャード・ロジャーズがかつて Dramatists Guild Quarterly に書いたロレンズ・ハートについての談話をマックス・ウィルク著《They’re Playing Our Songs》から再引用してみよう。
【研究】ロレンズ・ハート 2 パラマウント映画社の制作に従事していたメル・シャウアー Mel Shauer はラリィ(ロレンズ・ハート)と仲がよく、’30年代初めに二人で一緒に部屋を借りて住んでいた。彼の語るラリィ像は生き生きとしていて、とても興味深い。その一部を引用してみよう。
【研究】ロレンズ・ハート 1 リチャード・ロジャーズ/ロレンズ・ハートの次のミュージカル【I married an angel】(’38)を演出したジョシュア・ロウガン Joshua Logan は、このときちょうど30歳だった。彼はのちにブロードウェイ・ミュージカルの演出家として成功し、映画監督としても有名になるが、この演出は初仕事だった。
【研究】レコードの出現 ODJBが最初のジャズ・レコードを出したのは第一次大戦のさなかの’17年のことだった。だがレコードそのものはそれより以前から出されていた。名のある芸術家が録音した(ということは実験段階のものや音楽以外のものは除いてということだが)最初のレコードは、1888年に出されているし、最初のレコード・カタログはコロンビア・レコード会社から1891年に出されている。
【研究】レイス・レコード race records ODJBが歴史上最初となるジャズ・レコードを出したのは’17年のことだった。そして黒人のジャズメン、ジャズ歌手がレコードを出したのは’20年のことだったが、このレコードは当時レイス・レコードと呼ばれた。レイス・レコードは黒人だけでなく、’20年代、’30年代をつうじてユダヤ人やイタリー人などそれぞれの移民社会のなかで盛んにつくられていった。
【研究】リフ リフ riff について考えてみよう。riff は refrain の簡略形とも言われるが、その正確な語源はどうもはっきりしない。《ニュー・グロウヴ・ジャズ辞典》はニューオルリンズのマーチング・バンドから出た言葉だと書いている。
【研究】リチャード・ロジャーズ リチャード・ロジャーズ Richard Charles Rodgers (’02-’79)は、父母がニューヨーク州ロングアイランドのアーヴァーン Arverne の友人の別荘を訪れていたときに、産気づいて次男として生れた。すぐに一家はマンハタンに引っ越し、それはのちに一緒に仕事をするロレンズ・ハート Lorentz Hart とオスカー・ハマースタイン二世 Oscar Hammerstein II (’95–’60)の家と偶然ほんの数ブロックしか離れていなかった。父は成功していた医者で、母はなかなか質のいいアマチュア音楽家だった。
【研究】ラテン・リズム ラテン・リズム Latin rhythm という言葉は、勿論、アメリカ英語で、正確には Latin-American rhythm と言う。〝ラテン〞は元もとは地中海沿岸の国ぐに、民族をさして言う言葉で、中南米はスペインとポルトガルが征服したので、それらの国や地域をラテン・アメリカ Latin America と呼んできたわけだ。