研究」カテゴリーアーカイブ

【研究】ラウンジ歌手、サルーン歌手、キャバレー歌手について

僕は50年前に起きたことがすべて良くて今日起きていることが悪いなんて思っている一人ではないけれど、ポピュラー音楽の領域では、少なくとも僕の好みから言うんだが、まったくそのとおりだと思えてしまう。ルディ・ヴァレー Rudy Vallee とビートルズ Beatles までの間はまさに輝かしい時代であり、言葉のすべての意味において黄金期だった。

【研究】マクヒューとフィールズ

ジミー・マクヒュー(1894–’69)はマサチューセッツ州ボストンに生れた。父は配管工事の会社をやっていて、彼にピアノを教えたのは母だった。セント・ジョンズ予科学校から聖十字架カレッジへ進み、彼は音楽を専攻した。若き日にいくつかほかの仕事をしてから、ピアニストとして活動し始め、最初はボストンのオペラ劇場のリハーサル・ピアニストとして働いた。26歳の時にアーヴィング・バーリン音楽出版社のボストン支店のプラッガーの職を得た

【研究】バート・バカラック

バート・バカラック Burt Bacharach (’18-)はミズーリ州カンザス・スィティに生れたが、ニューヨーク市のフォレスト・ヒルズで育ち、フォレスト・ヒルズ高校を’46年に卒業した。父のマークは有名な新聞のコラムニストで、一家はユダヤ系だった。しかし「家族の誰もユダヤ教会には行かなかったし、ユダヤ系であることを気にもしなかった」と、そして「でも周りの子供達は皆カトリックで、僕がユダヤ系であることは周囲の誰にも知られたくなかった」と彼は自伝に書いている。

【研究】ニール・ヘフティ

ニール・ヘフティ(’22–2008)はネブラスカ州ヘイスティングスで貧しい家に生まれた。家は祝日の時などの慈善援助に頼るほどだった。10歳のときクリスマス・プレゼントにトランペットをもらい、翌年には学校でトランペットを吹き始め、高校では夏休みに地方のバンドに入ってバイト代を稼ぎ生活費に当てたりした。

【研究】ハーブ・ジェフリーズ

ハーブ・ジェフリーズは歌手で役者、監督、作家、作曲家でもあった。父がイタリー系と黒人の血が入っていたらしく、彼も青い目と茶色の毛とやや黒っぽい肌で、なに人と言いがたいような容貌だった。一時期黒人向けの映画や芝居、そしてジャズ歌手として売りたかったこともあり、顔の黒さを濃く見せる化粧をしていたという。

【研究】ジェロウム・カーン

ジェロウム・カーンは1895年生れで、ティンパンアレイ作家の中では1番世代が上だ。父はドイツ移民のユダヤ系商人(母もボヘミア移民のユダヤ系でピアニスト)で、最初は厩を経営していたというが、相当腕のたつすぐれた商人だったようだ。おかげでジェロウムはなに不自由なく育ち、金のことはどうでもいいような優雅な性格を身につけたようだ。

【研究】詩と歌詞

ジャズ詩大全シリーズを書きはじめてしばらくしたあるとき、私は一読者から投書をもらった。それはこの本のなかで扱っている作詞家たちのことを、私がところによっては〝詩人〞と書き、また彼らの出した出版物を〝詩集〞と言及したことに立腹しての投書で、純粋に文学的な詩人やその詩集とジャズのスタンダード曲の歌詞やその歌詞集とを一緒くたに同じ名で呼ぶのはけしからんという内容のものだった。

【研究】アレック・ワイルダーのアメリカ・ポピュラー音楽論

アレック・ワイルダーは著書《American Popular Music》で[Without a Song]に触れて「これは事実上アート・ソング art song だ」と書いている。art song とか arty という表現で〈芸術っぽい、芸術を気取っている、芸術的すぎる〉という否定的な意味に使い、そういう意味ではリチャード・ロジャーズもときにはジェロウム・カーンもやり玉に挙げる。