[I’m Beginning to See the Light]I’m Beginning to See the Light デューク・エリントンのバンドのアルト奏者ジョニー・ホッジスが作曲し、作詞家のドン・ジョージが歌詞を書いた’44年の作品だ。エリントンのレコードはまだ17歳のジョウヤ・シェリル Joya Sherrill 歌で出たが、チャートで6位にとどまりそれほど売れなかった。ハリー・ジェイムズ楽団とキティ・カレンの歌によるレコードの方は1位とヒットして売れた。
[I’ll Never Smile Again]I’ll Never Smile Again 1941年の映画『Las Vegas Nights ラス・ヴェガスの夜』に挿入された曲で、ルース・ロウが作詞、作曲とも担当している。ロウは’41年の映画『Ziegfeld Girl』と’43年の『Is Everybody Happy?』にも一曲書いているが、他に目立った活躍はしていず、その名はあまり知られていない。
[I’ll Be Seeing You]I’ll Be Seeing You これはアーヴィング・カール作詞、サミー・フェイン作曲で、1938年のミューズィカル【Right This Way】に使われた曲である。そのなかではタマラ・ジーヴァ Tamara Geva が歌ったが、このミュージカルは失敗してすぐに閉めた。
[It’s De-Lovely]It’s De-Lovely この曲はコウル・ポーターが1936年のミューズィカル【Red, Hot and Blue】に入れたもので、若い男女が恋に落ち結婚し、子供をつくりその子供が成人し成功するまでを、言葉遊びふうに語った唄だ。またポーター得意のリスト・ソングの一種ともとれるかもしれない。
[It Might As Well Be Spring]It Might As Well Be Spring これはハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズのコンビで1945年につくられ、ミュージカル映画『State Fair』(20th Century-Fox)に使われた曲である。この二人の仕事には『South Pacific』やら『The Sound of Music』などミュージカル映画が多いのだが、いずれもミュージカルの映画化であって、オリジナルのミュージカル映画ではない。『State Fair』は彼らの唯一のオリジナルのミュージカル映画で、そう言われてみると意外に感じる人もいるはずだ。
[It Had to Be You]It Had to Be You これはアイシャム・ジョーンズの楽団の1924年のヒット曲で、ガス・カーンが歌詞をつけている。映画、ミュージカルには関係なくても、ジョーンズ楽団のレコードがヒット・チャートのトップにあがって、その位置を5週維持した。同年にはさらにマリオン・ハリスの歌が3位まで、ウクレレ・アイクことクリフ・エドワーズの歌が6位までのぼり、ビリー・マレイ Billy Murray とアイリーン・スタンレイ Aileen Stanley、ポール・ホワイトマン楽団などのレコードもチャート入りし、またサム・ラーニン Sam Lanin、ケイ・トンプソン Kay Thompson らのレコードも出た。
[Impossible Dream, The]The Impossible Dream これは’60、’70年代に大変有名になった、’65年のミュージカル【ラ・マンチャの男】の主題歌である。世界40カ国で翻訳上演されていて、もちろん日本版も上演されているから、メロディは聞いたことがある人も多いだろう。とにかく’66年の春ごろはアメリカではこれが大変なヒットだった。ラジオでも毎日毎日何度も流されていた。
[If I Were a Bell]If I Were a Bell フランク・レッサーが’50年のミュージカル【Guys and Dolls】に曲と詩を書いたもので、オリジナル・キャストでは修道女セアラ役のイザベル・ビグリー Isabel Bigley が歌った。博打打ちのスカイはロバート・アルダ Robert Alda が演じたが、彼はなんといっても’45年の映画『Rhapsody in Blue アメリカ交響楽』でジョージ・ガーシュウィンの役を演じたのが見事に当った。
[I Could Have Danced All Night]I Could Have Danced All Night ラーナー/ロウのコンビが’56年のミューズィカル【My Fair Lady】のために書いたもので、ミューズィカルではジュリィ・アンドルーズが、映画ではオードリー・ヘプバーンが(マーニ・ニクソン Marni Nixon の吹き替えで)歌った。
[I Can’t Give You Anything But Love]I Can’t Give You Anything But Love ドロスィ・フィールズとジミー・マクヒューのコンビが書いた曲で、最初は’27年の【Harry Delmar’s Revels】に入れられた。そこではこの曲は大西洋横断飛行を成し遂げたリンドバーグ Charles Lindbergh への賛辞として[I Can’t Give You Anything but Love, Lindy]となっていたというが、デルマーがこれを嫌ってすぐに落としたらしい(ショウ自体が続かなかったという記録もあった)。