[Whisper Not]Whisper Not ベニー・ゴルソンの’56年のヒット曲で、当時彼も所属していたアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの演奏でまず有名になり、あとからレナード・フェザーによって歌詞がつけられた。題名の Whisper not は Don’t whisper の語順を変えただけで、意味は同じである。
[Wave (Vou Te Contar)]Wave (Vou Te Contar) アントニオ・カルロス・ジョビンの書いたボサノヴァ曲で、彼の数かずの有名なボサノヴァ曲のなかでは比較的新しく、アメリカで録音され’67年に発売された。そして大抵はポルトガル語の詩に対して誰かアメリカの作詞家が英語の詩をつけるのが慣例だが、これは彼自身が英語の詩をつけている。
[This Masquerade]This Masquerade リアン(正確にはアメリカ発音でリアンという発音が最も近い)・ラッセルの作った曲で、[Tight Rope]という曲の裏面で出され、あまり目立たなかったが、ジョージ・ベンソンの’76年のヒットで大変有名になった。ビルボードでは10位に、カナダでは8位にまで昇った。またベンソンの歌は’77年度のグラミー賞をもらっている。
[Second Time Around, The]The Second Time Around サミー・カーンとジミー・ヴァン・ヒューゼンによる曲で、’60年の20世紀フォックス映画『High Time』に挿入された。そこではヘンリー・マンスィーニ指揮のオーケストラでビング・クロズビーが歌い、アカデミィ主題歌賞にノミネイトされたが、賞は[Never on Sunday]に取られている。映画のなかでクロズビーが女装する場面があって、その場面とこの歌の二つ以外にいいところなしと評されるほど、これは失敗作だった。
[People]People ’64年3月末にブロードウェイで開幕したミュージカル【Funny Girl】に挿入され、のちに映画『Funny Girl』にも挿入されたバーブラ・ストライザンドの大ヒット曲で、彼女をスターにのし挙げた曲でもある。この Funny Girl とは’20~’30年代に【ズィーグフェルド・フォリーズ】などで活躍した喜劇女優ファニー・ブライス Fanny Brice のことで、このミュージカル、映画ともに彼女の伝記物語を骨子としている。
[One for My Baby]One for My Baby ジョニー・マーサーとハロルド・アーレンによって書かれ、’43年のRKO映画『The Sky’s the Limit』に使われた。なかでは主演のフレッド・アステアがこれを歌ったが、彼が凱旋した空軍の飛行士の役で、初めて白のタイと黒い燕尾服を着なかった映画だと言われている。しかしこの映画は成功せず、そのままポシャってしまった感があるが、もう一曲この二人が書いた[My Shining Hour]も入っていて、これは’43年のアカデミー主題歌賞にノミネートされ、この2曲は大成功した。
[Night We Called It a Day, The]The Night We Called It a Day ’41年にマット・デニスが曲を書き、トム・アデアが歌詞をつけたものだが、’44年にはユニヴァーサルのミュージカル映画『Sing a Jingle』に使われている。と言ってもこの曲はそう有名ではなく、知っている人は少ないかもしれない。ただ歌っている人は多く、シナトラに始まって、ジョウ・スタッフォード、ジューン・クリスティ、クリス・コナー、カーメン・マクレエ、それからマット・デニス自身の弾き語り、と捜せばまだまだあるかもしれない。
[Moanin’]Moanin’ アート・ブレイキィとジャズ・メッセンジャーズの空前絶後の大ヒットで、’60年ごろのジャズ愛好家にとっては麻疹みたいに一度はかからなくてはならない熱病のようなものだった。空前絶後の大ヒットとは大袈裟かもしれないが、この頃のジャズファンにとってはそんなふうに思えた聴こえたそんな曲である。
[Misty]Misty ジャズ・ピアニストのエロール・ガーナーが’54年に作ってレコードにした曲で、翌年ジョニー・バークが詩をつけてできあがった。ガーナーのレコードは Contrasts というタイトルの盤で、Em Arcy から’54年に出されている。当時彼のマネジャーをやっていたマーサ・グレイザー Martha Glaser が録音した曲の編集をしていて、ガーナーのロマンティックなバラードを綴る面とハードにスウィンギィにドライヴする面と二つが対照的で、それでこのアルバムに「コントラスト Contrasts」というタイトルをつけた。
[Me and My Shadow]Me and My Shadow これはデイヴ・ドライアー作曲でビリー・ロウズが作詞した1927年の曲である。レヴュー【Harry Delmar’s Revels】に使われ、ヴォードヴィル・スターのフランク・フェイ Frank Fay が歌った。またアル・ジョルソンもラジオでさかんに歌い、その宣伝効果のおかげでヒットしたのでクレディットにも彼の名が入っている。