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[People]People

’64年3月末にブロードウェイで開幕したミュージカル【Funny Girl】に挿入され、のちに映画『Funny Girl』にも挿入されたバーブラ・ストライザンドの大ヒット曲で、彼女をスターにのし挙げた曲でもある。この Funny Girl とは’20~’30年代に【ズィーグフェルド・フォリーズ】などで活躍した喜劇女優ファニー・ブライス Fanny Brice のことで、このミュージカル、映画ともに彼女の伝記物語を骨子としている。

[Our Day Will Come]Our Day Will Come

ボブ・ヒリアード作詞、モート・ガーソン作曲によって1962年に作られ、同年12月にルビーとロウマンティクス Ruby & The Romantics の歌で出て、それが翌年3月ヒットして1位まで昇った。二人は穏やかな曲としてこれを考えていて、レコード会社 Kapp のA&R部長アル・スタントン Al Stanton が、もしこれがダメだったらジャック・ジョーンズに歌わせると約束したので、この新しいR&Bグループ/ルビーとロウマンティクスの録音を許可したのだ。

[One for My Baby]One for My Baby

ジョニー・マーサーとハロルド・アーレンによって書かれ、’43年のRKO映画『The Sky’s the Limit』に使われた。なかでは主演のフレッド・アステアがこれを歌ったが、彼が凱旋した空軍の飛行士の役で、初めて白のタイと黒い燕尾服を着なかった映画だと言われている。しかしこの映画は成功せず、そのままポシャってしまった感があるが、もう一曲この二人が書いた[My Shining Hour]も入っていて、これは’43年のアカデミー主題歌賞にノミネートされ、この2曲は大成功した。

[On the Street Where You Live]On the Street Where You Live

これはラーナーとロウのミューズィカル【My Fair Lady】に挿入された曲で、’56年の作品だ。そのミューズィカルでは登場人物のフレディ Freddy Eynsford-Hill を演じたマイケル・キング John Michael King がこれを歌った。そして’57年にヴィク・ダモンがコロンビアに吹きこんだレコードが売れてヒットした。

[Nightingale Sang in Berkeley Square, A]A Nightingale Sang in Berkeley Square

エリク・マシュウィツとマニング・シャーウィンがロンドンで成功させた1940年のレヴュー【New Faces】に挿入された曲で、イギリス製の曲だがジャズ・スタンダード曲に入れていいと思う。地味だが歌手やミュージシャンになかなか人気のある曲である。

[Night We Called It a Day, The]The Night We Called It a Day

’41年にマット・デニスが曲を書き、トム・アデアが歌詞をつけたものだが、’44年にはユニヴァーサルのミュージカル映画『Sing a Jingle』に使われている。と言ってもこの曲はそう有名ではなく、知っている人は少ないかもしれない。ただ歌っている人は多く、シナトラに始まって、ジョウ・スタッフォード、ジューン・クリスティ、クリス・コナー、カーメン・マクレエ、それからマット・デニス自身の弾き語り、と捜せばまだまだあるかもしれない。

[Night and Day]Night and Day

これはコウル・ポーターの曲のなかでももっとも有名なもので、’32年のミュージカル【Gay Divorce】に使われ、そのなかでは主演のフレッド・アステア(1899-’87)が歌った。このショウは248回続き、不況期にしては悪くもなく良くもないというところだった。ショウの準備段階でポーターはアステアを主役に望み、アステアもポーターが弾くこのなかの一曲[After You, Who]を聴いただけで感激してこのショウへの出演を承諾し、この組合せは非常に成功した。

[My Romance]My Romance

これはロジャーズ/ハートの’35年の作品で、同年11月の、ミューズィカル【Jumbo】のなかに使用された曲だ。そのなかではドナルド・ノヴィス Donald Novis とグロリア・グラフトン Gloria Grafton によって歌われた。この二人は当時売れっ子のビグバンド歌手で、歌えない映画スターの声もよく吹き替えていた。