[O Little Town of Bethlehem]O Little Town of Bethlehem これはボストンのトリニティ Trinity(三位一体)教会の牧師フィリップス・ブルックスが歌詞を書き、オルガン奏者のルイス・ヘンリー・レドナーが作曲したもので、1868年の作品である。ブルックス(1835-1893)は商人の子としてボストンで生れ、2メートル近い、当時としてはかなりの大男だった。
[O Come, All Ye Faithful (Adeste Fideles)]O Come, All Ye Faithful (Adeste Fideles) フランスのドゥエイ Douai のカトリック大学で単旋聖歌の写譜をやっていたジョン・フランスィス・ウェイドが、正確には1740年から三年間ぐらいのあいだにこの曲を書いたと言われる。ドゥエイはフランス北部の街で、16~17世紀に英国から追放されたカトリック教徒(つまり非国教徒だが)が住みつき、政治的、宗教的中心をなした場所である。
[O Christmas Tree (O Tannenbaum)]O Christmas Tree (O Tannenbaum) これはもとはドイツ民謡、ドイツ・クリスマス・キャロルの一つである。[O Tannenbaum]というドイツ語歌詞は1550年まで遡れるそうで、一般には16世紀ごろにできてきたトラディショナルで、それがイギリスに伝わったと言われている。
[Joy to the World]Joy to the World [もろびとこぞりて]の邦題で知られている賛美歌#98で、歌詞はアイザック・ワッツが書いた。メロディはヘンデルの[Messiah]から取られている。このメロディは私たちが子供のころ学校で習ったものだし、ドシラソファミレドという出だしはとても印象的で、誰もが知っている曲だろう。
[Jolly Old Saint Nicholas]Jolly Old Saint Nicholas この曲はトラディショナルというのではなさそうで、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカでだれかが作ったようだ。しかし作詞曲者を示すような資料はなにも見つからず、もしかしたら作詞曲者があえて名を伏せたか隠したのかもしれない。
[Jingle Bells]Jingle Bells これはクリスマス曲としてもっとも名が通っているおなじみの曲である。ところが不思議なことに歌詞ではクリスマスについてなんら触れていない。じつは1857年にジェイムズ・ピアポント James Pierpont によってボストンの教会における感謝祭の式典のために書かれたが、感謝祭についても触れていなくて、曲名も[One Horse Open Sleigh]という、ただ橇(そり)滑りを歌っただけのものだった。
[Jingle Bell Rock]Jingle Bell Rock これは1957年にボビー・ヘルムズが作詞作曲して、自身のレコードで出した現代のクリスマス曲である。題名も歌詞の一部も[Jingle Bells]から取られているのでいわばその姉妹版と言えるかもしれないし、また50年代ポップスの[Rock Around the Clock]や[Jingle Hop]などにも言及しているので、従来のクリスマス曲とは少し趣が違って新しい。
[It Came upon the Midnight Clear]It Came Upon the Midnight Clear これはマサチューセッツ州ウェイランド Wayland の統一教会派の教区牧師だったエドマンド・ハミルトン・スィアーズが歌詞を書いたもので、1849年に Christian Register というボストンの教会報12月29日号に載せられた。
[I Wonder as I Wander]I Wonder as I Wander これはトラディショナル曲のようであるが、もうあまり確実なことは判らない。歌手でもあり若いときからとても熱心なフォークソングの収集家であったジョン・ジェイコブ・ナイルズが1933年にノース・キャロライナ州で蒐集し、書きとって編曲し仕上げた。
[I Heard the Bells on Christmas Day]I Heard the Bells on Christmas Day この曲の歌詞はハーヴァード大学で17年間教えていた文学者で詩人のヘンリー・ワズワース・ロングフェロウ(1807-1882)が、アメリカの南北戦争の最中の1863年に書いたもので、クリスマス讃歌でありまた反戦歌でもあった。