[Flat Foot Floogie]Flat Foot Floogie スリム・ゲイラード、スラム・ステュアート、バド・グリーンの三人にクレディットされている曲で、1938年にスリム・アンド・スラム組が歌い演奏してヒットさせた。バド・グリーンはヴェテランのソングライターで、出版者として噛んでいたらしく、この曲は事実上はゲイラードがつくったようだ。
[He Was Too Good to Me]He Was Too Good to Me ロジャーズ/ハートの1930年の曲で、フロウレンズ・ズィーグフェルド制作のミュージカル【Simple Simon】のために書かれた。そして同年1月末にトライアウトが始まったが、その段階でこの曲はズィーグフェルドの一声で落とされてしまった。
[How Am I to Know]How Am I to Know かの有名な評論家、劇作家、詩人のドロスィ・パーカーが作詞して、ジャック・キング作曲で、1929年の映画『Dynamite』(MGM)に使われた曲である。パーカーが作詞というだけでなにか特別な意味をもつような、そんな感じもしないでもない。
[Lullaby in Rhythm]Lullaby in Rhythm 1938年のベニー・グッドマン楽団のヒット曲で、グッドマンの名前もクレディットに入っている。しかし事実上はサックス奏者でアレンジャーのエドガー・サンプソンとピアニストのクラレンス・プロフィトが二人でつくった曲だ。
[I Had the Craziest Dream]I Had the Craziest Dream マック・ゴードンとハリー・ウォレンの作で、1942年の映画『Springtimein the Rockies』(20th Century-Fox)に使われた曲である。映画ではハリー・ジェイムズ楽団が演奏しヘレン・フォレストが歌い、そのレコードは’42年11月にチャートで1位に上って二週維持し、さらに22週チャート内に留まってミリオン・セラーとなった。
[I Hear a Rhapsody]I Hear a Rhapsody ジョージ・フラゴス、ジャック・ベイカー、ディック・ギャスペアの三者が1940年につくった曲で、’41年のヒット曲となった。この三者はほかに作品がなにもなく、資料らしいものが皆無だった。
[I Wanna Be Around]I Wanna Be Around サディ・ヴィマーステットのアイデアでジョニー・マーサーが書いたという1959年の作品である。ヴィマーステットはソングライターでもなんでもなく、普通の家庭の主婦で、彼女がマーサーにこの曲のアイデアを送り、マーサーがそれをすごく気に入って曲に仕上げたのだ。
[I Wish I Were in Love Again]I Wish I Were in Love Again ロレンズ・ハートとリチャード・ロジャーズがつくった1937年の曲で、同年のミュージカル【Babes in Arms】に使われた。そのなかではグレイス・マクドナルドとロリー・ピカート Rolly Pickert が歌った。
[Isn’t It a Pity]Isn’t It a Pity アイラとジョージのガーシュウィン兄弟による1932年の作で、翌’33年1月のミュージカル【Pardon My English】に使われた曲だ。そのなかではバーバラ・ニューベリー Barbara Newberry とカール・ランドール Carl Randall が歌った。
[It’s All Right With Me]It’s All Right With Me コール・ポーターが作詞作曲して、1953年のミュージカル【Can-Can】に使われた曲である。そのなかではピーター・クックソン Peter Cookson が歌った。この脚本を書いたエイブ・バロウズ Abe Burrows は、最初は画家のロートレックが描いたモデルのラ・グールーの一生をミュージカル化しようと企画したらしい。