[Moanin’ Low]Moanin’ Low ハワード・ディーツ作詞、ラルフ・レインジャー作曲で’29年につくられ、レヴュー【The Little Show】に使用挿入された。このレヴューはディーツが作曲のアーサー・シュワーツと組んだ最初のもので、ケイ・スウィフトとポール・ジェイムズの[Can’t We Be Friends]など他の作詞家、作曲家の曲も使われていた。
[Misty]Misty ジャズ・ピアニストのエロール・ガーナーが’54年に作ってレコードにした曲で、翌年ジョニー・バークが詩をつけてできあがった。ガーナーのレコードは Contrasts というタイトルの盤で、Em Arcy から’54年に出されている。当時彼のマネジャーをやっていたマーサ・グレイザー Martha Glaser が録音した曲の編集をしていて、ガーナーのロマンティックなバラードを綴る面とハードにスウィンギィにドライヴする面と二つが対照的で、それでこのアルバムに「コントラスト Contrasts」というタイトルをつけた。
[Miss Otis Regrets (She’s Unable to Lunch Today)]Miss Otis Regrets (She’s Unable to Lunch Today) コール・ポーターが’34年につくった曲で、彼が映画やミュージカルのためにではなくつくった唯一のものだと言われている。ただ、これはヒットして有名になり、すぐに同年のロンドンのミュージカル【Hi-diddle-diddle】に挿入使用された。
[Minnie the Moocher]Minnie the Moocher キャブ・キャロウェイとアーヴィング・ミルズがつくった曲で、あとでクラレンス・ギャスキルが手を加えたようだ。’31年のコットン・クラブのショウでキャロウェイが歌って大ヒットとなった。
[Midnight Sun]Midnight Sun ライオネル・ハンプトンの最大傑作と言うべき曲で、1947年の作品だ。クレディット上ではソニー・バークとの共作になっているがその理由は判らない。歌詞は’54年にジョニー・マーサーがつけたものだ。もちろんもとはインストゥルメンタルとして作られ、ハンプトン楽団のデッカのレコードが最初だった。
[Mercy, Mercy, Mercy]Mercy, Mercy, Mercy ジュリアン・キャノンボール・アダレイ率いるクインテットが’66年に飛ばしたヒット曲で、そのバンドのピアノを担当していたジョセフ・ザヴィナルがつくった。
[Memories of You]Memories of You ピアニストのユービィ・ブレイクが’30年につくった曲で、アンディ・ラザフが歌詞をつけている。黒人ばかりのレヴュー【Blackbirds of 1930】に入れられ、そのなかではエセル・ウォーターズが歌った。
[Mean to Me]Mean to Me ロイ・ターク、フレッド・E・アーラートの二人の共作とあるが、事実上はタークの作詞、アーラートの作曲になる’29年の作品で、映画、ミュージカルとは関係ない曲だ。ルース・エティングのレコードがヒットしたが、ヘレン・モーガンのものもヒットした。
[Me and My Shadow]Me and My Shadow これはデイヴ・ドライアー作曲でビリー・ロウズが作詞した1927年の曲である。レヴュー【Harry Delmar’s Revels】に使われ、ヴォードヴィル・スターのフランク・フェイ Frank Fay が歌った。またアル・ジョルソンもラジオでさかんに歌い、その宣伝効果のおかげでヒットしたのでクレディットにも彼の名が入っている。
[Maybe You’ll Be There]Maybe You’ll Be There この曲はミュージカル、映画とは関係なく、サミー・ギャロップ作詞、ルーブ・ブルーム作曲で1947年につくられている。同年早くにゴードン・ジェンキンズのオーケストラがチャールズ・ラヴェア Charles Lavere の歌で録音してデッカから出したが、すぐには売れなかった。どういうわけか翌年になって売れはじめ、’48年6月に3位までのぼり合計30週チャートに在位して、中くらいのヒットになった。