[Something’s Gotta Give]Something’s Gotta Give ジョニー・マーサーが1955年の映画『Daddy Long Legs』(20th Century-Fox)に書いた曲で、作詞家として押しも押されもせぬ彼が詞、曲両方をやった珍しい例である。そのなかでは主演のフレッド・アステアが共演のレスリー・キャロンと踊る合間にダンス・パーティでこれを歌った。
[Something to Remember You By]Something to Remember You By ハワード・ディーツとアーサー・シュウォーツのコンビが1930年につくった曲で、レヴュー【Three’s a Crowd】に使われた。そこではリビィ・ホルマンが歌った。
[Something to Live For]Something to Live For デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンの1939年の作品で、共作ということになっている。彼らの作品はどちらが書いたか判らないものも多いが、この曲は80パーセントほどはストレイホーンによると考えていい。
[Something Cool]Something Cool 作曲家のビリー・バーンズが『欲望という名の電車 Streetcar Named Desire』で主演したブランチ・デュボイス Blanche DuBois のために1953年に書いた曲である。そして翌’54年にジューン・クリスティがピート・ルゴロ編曲で歌って大きくヒットした。
[Someone to Watch over Me]Someone to Watch over Me ジョージとアイラのガーシュウィン兄弟の作品で、’26年のミュージカル【Oh, Kay】に使われた曲だ。そのなかではアメリカのミュージカル初出演となった英国のミュージカル女優ガートルード・ローレンスが歌った。
[Someday Sweetheart]Someday Sweetheart これは黒人ソングライターのベンジャミン・F、ジョン・Cのスパイクス兄弟が1919年につくった曲で、映画、ミュージカルとは関係ない。レブ Reb (Benjamin F.)とジョンは’20年代にロサンジェルスでいろいろな音楽の仕事に携わり、一時はジェリー・ロウル・モートンも入っていたショウ・バンドをやっていた。
[Someday My Prince Will Come]Someday My Prince Will Come ラリー・モウリィ作詞、フランク・チャーチル作曲で、1937年のディズニー映画『白雪姫 Snow White and the Seven Dwarfs』に入れられた曲である。映画ではアドリアーナ・キャセロウティ Adriana Caselotti によって歌われた。
[Somebody Loves Me]Somebody Loves Me ジョージ・ガーシュウィンの曲で、B・G・デスィルヴァとバラード・マクドナルドが作詞し、’24年のレヴュー【George White Scandal of 1924】に挿入使用された。
[Some Sunday Morning]Some Sunday Morning この曲はテッド・ケーラーが作詞し、M・K・ジェロウムとレイ・ハインドーフが作曲したもので、1945年の作品である。これは往年の西部劇スター、エロール・フリンが主演した同年の映画『San Antonio』(Warner)に使われ、なかではアレクスィス・スミスが歌い、アカデミー主題歌賞にノミネイトされたが受賞は逸した。
[Some Other Spring]Some Other Spring これはアイリーン・キッチングズの書いた曲にアーサー・ハーゾグ・ジュニアが作詞したもので、1939年の作品である。チャートに昇ったほどのヒットではなかったが、ビリー・ホリデイが歌っていわばホリデイ・スタンダードとなった。