別巻クリスマス編[増補改訂版]」カテゴリーアーカイブ

[We Three Kings of Orient Are]We Three Kings of Orient Are

これはジョン・ヘンリー・ホプキンズ・ジュニアが1857年に作詞、作曲したもので、’62年の彼の曲集《Carols, Hymns and Songs》に載せられた。ホプキンズ(1820-1891)はピッツバーグ生れで、作詞家であり、雑誌の記者、編集者で、絵も描いたりステインド・グラスのデザイナーもやっていた。

[Twelve Days of Christmas, The]The Twelve Days of Christmas

この曲はイギリスの民間伝承の唄の一つで作者は判っていない。しかしヨーロッパとスカンディナヴィアで16世紀頃からクリスマス節に歌われていたという指摘もある。とにかく一目、これは数え歌であり、16世紀のイギリスでは数え歌がとてもはやったという。

[Sleigh Ride]Sleigh Ride

これはクラシックとジャズまたはポップスの領域をまたいだ作曲家として有名なリーロイ・アンダーソン(ルロイという表記が日本のラジオや出版物で一般的だが英語の発音としてはリーロイ)の曲で、最初はアンダーソン自身のオーケストラが演奏したデッカのレコードがヒットした。

[Silent Night]Silent Night

この曲は1818年にオーストリアの神父ヨーゼフ・モールが作詞し、教会オルガニストのフランツ・グルーバーが作曲した作品である。従って歌詞はドイツ語で、メロディもグルーバーのオリジナルと現在歌われているものとは(とくに最終節部分が)少し異なるという。

[Santa Claus Is Comin’ to Town]Santa Claus Is Comin’ to Town

これはヘイヴン・ギレスピ、J・フレッド・クーツの二人が1934年に書いた曲で、今や日本でも知らない人がいないくらいに有名になった。’34年9月下旬の雨の日にギレスピはニューヨークの Leo Feist 楽譜出版社のエドガー・ビトナーに呼び出されて、子供向けのクリスマス曲の依頼を受けた。

[Rudolph the Red-Nosed Reindeer]Rudolph the Red-Nosed Reindeer

邦名[赤鼻のトナカイ]で日本でもよく知られているこの曲は、最初はカントリー・ウエスタン歌手ジーン・オートリィ Gene Autry が1949年に歌ってヒットした。作曲のジョニー・マークスが歌詞も書いたが、それは彼の義理の兄弟であるロバート・L・メイの書いた子供向けの物語りをもとにしていたので、彼はメイにクレディットを与えている。

[O Little Town of Bethlehem]O Little Town of Bethlehem

これはボストンのトリニティ Trinity(三位一体)教会の牧師フィリップス・ブルックスが歌詞を書き、オルガン奏者のルイス・ヘンリー・レドナーが作曲したもので、1868年の作品である。ブルックス(1835-1893)は商人の子としてボストンで生れ、2メートル近い、当時としてはかなりの大男だった。

[O Holy Night (Christmas Song)]O Holy Night (Christmas Song)

19世紀にフランスで書かれた曲で、フランスでは[Cantique de Noel クリスマス聖歌]として知られていた。それで英語では括弧して(Christmas Song)と付記されることが多い。田舎町でワインのアドヴァイザーをやり時どき詩を書いていたプラスィド・カポー(1808-’77)が、1847年にこの曲の原詩を書いた。