【研究】ワイルダーのロジャーズ論 アレック・ワイルダーの作曲家に対する批判はいつも辛辣だ。だがもちろん褒めるときも単刀直入で言葉に濁りがない。彼のリチャード・ロジャーズ論をその著書《American Popular Song:The Great Innovators 1900-1950》(Oxford University Press, 1972)からかいつまんで紹介しよう。
【研究】ジョン・アードインによるメアリィ・ロジャーズへのインタヴュー メアリィ・ロジャーズは自身、作家で作曲家であり、ブロードウェイ作品には、キャロル・バーネット Carol Burnett が主演した’59年のミュージカル【Once Upon a Mattress】がある。彼女が父とロレンズ・ハートについて語る。
[Street of Dreams]Street of Dreams サム・M・ルイス作詞、ヴィクター・ヤング作曲で1932年につくられた曲である。ミュージカル、映画とは関係なく、この曲の詳しい資料はあまり見つからなかった。ヴィクター・ヤングがまだ有名でない時代の曲で、最初に歌ったのはモートン・ダウニー Morton Downey(1901-’85)だった。
[Soon]Soon ガーシュウィン兄弟が1930年に書いたミュージカル【Strike Up the Band】に入れられた曲である。このミュージカルは最初は’27年に上演されたが、それは戦争を風刺した脚本が深刻、辛辣すぎたためか、地方で上演されただけでうち切られてしまった。
[Something to Remember You By]Something to Remember You By ハワード・ディーツとアーサー・シュウォーツのコンビが1930年につくった曲で、レヴュー【Three’s a Crowd】に使われた。そこではリビィ・ホルマンが歌った。
[Some Other Spring]Some Other Spring これはアイリーン・キッチングズの書いた曲にアーサー・ハーゾグ・ジュニアが作詞したもので、1939年の作品である。チャートに昇ったほどのヒットではなかったが、ビリー・ホリデイが歌っていわばホリデイ・スタンダードとなった。
[So Rare]So Rare ジャック・シャープ作詞、ジェリィ・ハースト作曲で1937年につくられた曲だ。最初に演奏したのはジミー・ドースィ楽団だったが、大いに売れたのはガス・アーンハイム楽団とジミー・ファレル歌、スタン・ケントンのピアノ、アーヴィング・ファゾウラのクラリネットのレコードで、’37年7月末にヒットチャートの2位まで上がり、さらに8月初めにガイ・ロンバード楽団のレコードがトップまで昇った。
[Peanut Vendor, The]The Peanut Vendor キューバの曲で、英詩をつけて1931年にアメリカでヒットした、いわばラテン・ヒット曲の草分け的存在である。もともとハヴァナの若いピアニストのモイセ・スィモンが’26年(’28年という表記もあった)に書いた[El Manisero]という曲で、すでにキューバで有名になっていた。
[Mountain Greenery]Mountain Greenery ロジャーズ/ハートの初期の作品で、レヴュー【The Garrick Gaieties of 1926】に使われた曲である。そのなかではボビー・パーキンズ Bobbie Perkinsとスターリング・ホロウェイ Sterling Holloway によって歌われた。
[Moments Like This]Moments Like This フランク・レッサー作詞、バートン・レイン作曲で、1938年の映画『College Swing』(Paramount)に使われた曲である。そのなかではフローレンス・ジョージ Florence George が歌った。