[Sometimes I Feel Like a Motherless Child]Sometimes I Feel Like a Motherless Child これはいわゆる黒人霊歌、スピリチュアルで、作者もつくられた正確な時日も判っていない。黒人霊歌は十八、九世紀あたりに黒人奴隷のなかに自然発生的に生れてきた音楽で、そのほとんどが個人の作詞曲家によるものでないという点がきわだっている。
[Sidewalks of New York, The]The Sidewalks of New York これはニューヨークのバワリー街の Old London 劇場で上演されたヴォードヴィル・ショウでロッティ・ジルソン Lottie Gilson が歌った曲で、チャールズ・B・ローラーとジェイムズ・W・ブレイクの1894年の作である。
[Serenade in Blue]Serenade in Blue これは作詞マック・ゴードン、作曲ハリー・ウォレンで、’42年の映画『Orchestra Wives』(20th Century-Fox)に使われた曲だ。そのなかではグレン・ミラー楽団の演奏でレイ・エバールとコーラス・グループのモダネアーズが歌い、彼らのレコードやベニー・グッドマン楽団のレコードが売れてヒットした。
[Pretty Baby]Pretty Baby これはピアニストのトニー・ジャクソンが書いた古い曲で、ガス・カーンが作詞し、【The Passing Show of1916】に使われた曲だ。そのショウに使われたときに多分エグバート・ヴァン・アルスタインがヴァースをつけ加えたようで、彼の名もクレディットに入っている。
[Oh, Look at Me Now]Oh, Look at Me Now これはトミー・ドースィ楽団のピアニストだったジョウ・ブシュキンがジョン・ドヴリーズとともに’41年に書いた曲で、当時やはり同楽団の専属だったフランク・シナトラが歌ってヒットさせた。軽いスウィング・ナンバーとしてブシュキンの代表作である。
[Oh, Lady, Be Good]Oh, Lady, Be Good これは’24年末のミュージカル【Lady, Be Good】にガーシュウィン兄弟が書いた曲で、その曲名はレコードなどでは Oh がとれていることもあるが正確には Oh, Lady, Be Good と題されていた。
[Night and Day]Night and Day これはコウル・ポーターの曲のなかでももっとも有名なもので、’32年のミュージカル【Gay Divorce】に使われ、そのなかでは主演のフレッド・アステア(1899-’87)が歌った。このショウは248回続き、不況期にしては悪くもなく良くもないというところだった。ショウの準備段階でポーターはアステアを主役に望み、アステアもポーターが弾くこのなかの一曲[After You, Who]を聴いただけで感激してこのショウへの出演を承諾し、この組合せは非常に成功した。
[My One and Only Love]My One and Only Love この曲はロバート・メリン作詞、ガイ・ウッド作曲の’53年の作品で、キャピトルに移ったばかりのフランク・シナトラが’53年5月に最初にとりあげて知られるようになった。
[My Man]My Man これは元は’20年のシャンソンで、アルベール・ウィルメッツ、ジャック・シャルル作詞、モーリス・イワン作曲の[Mon Homme]である。アメリカで知られるようになった最初のものは、アイリーン・ボルドニ Irene Bordoni が歌ったそのオリジナルだった。
[Keepin’ Out of Mischief Now]Keepin’ Out of Mischief Now これはアンディ・ラザフ作詞、ファッツ・ワーラー作曲で、’32年につくられた曲だ。ワーラーの曲のなかでは後期に属するもので、映画、ミュージカルとは関係ない。当初はワーラー自身とルイ・アームストロングのレコードが売れた。