[I Left My Heart in San Francisco]I Left My Heart in San Francisco ダグラス・クロスとジョージ・コウリィが’54年に作った曲で、’62年にトニー・ベネットが歌って三百万枚以上売れる大ヒットとなった。ベネットは’50年代にパール・ベイリィやボブ・ホウプに見いだされてデビューしたが、このころはパッとせずこの曲が起死回生のヒットとなった。
[I Fall in Love Too Easily]I Fall in Love Too Easily カーンとスタインのコンビがつくり、’45年のジーン・ケリー、フランク・シナトラ主演のミュージカル映画『Anchors Aweigh 錨を上げて』(MGM)に挿入された曲で、映画のなかではシナトラが歌った。
[I Can’t Believe That You’re In Love with Me]I Can’t Believe That You’re In Love with Me ’26年にギャスキルとマクヒューの二人が、コットン・クラブのショウのためにつくった最初の曲で、ショウではエイダ・ウォードが歌った。マクヒューは翌’27年に22歳のドロスィ・フィールズと会ってコンビを組むことになるが、これはその前のことでギャスキルと組んで仕事をしていた。
[Gone with the Wind]Gone with the Wind ハーブ・マギドソンとアリー・ルーベルが、映画『Gone with the wind 風と共に去りぬ』とは直接関係ないが、この映画に触発されて書いた曲である。
[Goin’ Out of My Head]Goin’ Out of My Head ポップス歌手のテディ・ランダゾとボビィ・ワインスタインが’64年につくった曲で、当初黒人五人組のリトル・アンソニィとインペリアルズ Little Anthony and the Imperials のレコードでヒットした。
[Don’t Worry ’Bout Me]Don’t Worry ’Bout Me テッド・ケーラーとルーブ・ブルームが’39年のコットン・クラブのショウ【コットン・クラブ・パレイド】に書いた曲で、これも大きなヒットではなかったが徐徐にスタンダードになってきた曲だ。
[Do Nothin’ Till You Hear from Me]Do Nothin’ Till You Hear from Me もとはデューク・エリントンが、トランペッターのクーティ・ウィリアムズのために書いたインストゥルメンタル[Concerto for Cootie]で、それにボブ・ラッセルが’43年に歌詞をつけてできあがった曲である。
[Come on-a My House]Come on-a My House 20世紀アメリカの有名な小説家で劇作家のウィリアム・サロイアンが、いとこのロス・バグダサリアンとともに書いた曲で、ロウズマリィ・クルーニィが歌って’51年の大ヒット曲となった。
[Can’t We Be Friends?]Can’t We Be Friends? これはポール・ジェイムズとケイ・スウィフト夫妻のソング・ライター・ティームが’29年に書いた曲で、ブロードウェイのレヴュー【The Little Show】に挿入された。