【研究】ジャイヴと黒人口承文化 jive の意味は〈お喋り〉と書いたが、実はほかにもたくさんの意味がある。元もとは〈だます、馬鹿にする、からかう〉という意味だが、黒人のあいだから生れてきた言葉で、語源ははっきりしていない。ギネス版《ジャズ・コンパニオン》によると、最初にプリントされたのは’28年のルイ・アームストロングのレコードの[Don’t Jive Me]と[Don’t Give Me That Jive]という曲名だという。
【研究】コットン・クラブ物語り 7 禁酒法廃止案を批准した州は’33年の12月に必要な数に達し、その廃止は公的なものとなった。これはいわばアメリカがアメリカに送ったクリスマス・プレゼントになったが、コットン・クラブはこの贈り物に喜んではいられなかった。不況も大きくクラブの営業成績に響いていたし、禁酒法廃止はニューヨークのナイト・ライフからその一番大きな魅力である〝スリル〞を奪ってしまったのだ。
【研究】コットン・クラブ物語り 6 ’33年の春からは、デューク・エリントン楽団がまたコットン・クラブに戻ってきた。ケーラーとアーレンは4月のショウに新曲を書き、ハーマン・スタークはその曲を歌う歌手としてエセル・ウォーターズを雇った。エセルはシカゴでアル・カポネのやっている店に出ていたが、どうも彼女のスターへの歩みはこのところ停滞気味で、ニューヨークへ戻ってきたところだった。
[Who Cares?]Who Cares? ジョージとアイラのガーシュウィン兄弟が’31年のミュージカル【Of Thee I Sing】に書いた曲で、そのなかではウィリアム・ギャクストンとロイス・モラン Lois Moran が歌った。
[When Lights Are Low]When Lights Are Low スペンサー・ウィリアムズとベニー・カーターが’36年につくった曲で、同年英国の歌手エリザベス・ウェルチ Elizabeth Welch が吹きこんだレコードが最初のものだ。
[Until the Real Thing Comes Along]Until the Real Thing Comes Along 普通カーン、チャップリン組の作として言及されるが、上記のようにホリナー、ニコルズ、フリーマンも加えて五人の作品として’36年につくられている。
[Twelfth Street Rag]Twelfth Street Rag ラグと名にあるように、’14年にユーデイ・L・ボウマンによって書かれたラグタイム曲である。デイヴィド・イーウェンはクラシック(古典)と呼んでいるが、まさに古典ゆえだろうか、書物によってそのつくられた年代が同じでなく、’11年、’09年などと書いてあるものもあった。
[’Tis Autumn]’Tis Autumn ヘンリィ・ニーモが’41年に作った曲で、ミュージカルや映画とは関係なくつくられている。スタンダード曲のなかでもあまり目立たない地味な曲だが、面白い楽しい歌詞で通には好まれている歌だ。
[Stormy Weather]Stormy Weather ケーラーとアーレンが’33年の【Cotton Club Parade】に書いた曲で、エセル・ウォーターズが歌った。アーレンはこれを最初キャブ・キャロウェイの歌として書いたが、ケーラーが書いた詞はキャロウェイ向きではなく、結局ウォーターズの曲となった。