第6巻」カテゴリーアーカイブ

【研究】コットン・クラブ物語り 5

コットン・クラブの whites only という方針は断固としたものだったが、’28年頃からそれが少しずつゆるまってきた。ミュージシャンや歌手、ダンサーなど黒人出演者の知人や家族が入れるようにエリントンらが交渉し、それが許されるようになったからだ。といっても黒人の客は一番うしろのキッチンに近い席に案内されるのが常だったが。

【研究】コットン・クラブ物語り 4

さてエリントン・バンドは映画の仕事を終え、’30年にコットン・クラブに戻り、キャロウェイ・バンドはプランテイション・クラブに移った。プランテイション・クラブはブロードウェイで成功したクラブだったが、コットン・クラブの成功に挑戦するようにその近隣のダウンタウンよりに支店を開いたのだ。

【研究】コットン・クラブ物語り 3

急死したハーディングのあとに大統領になったのは、カルヴィン・クーリッジ Calvin Coolidge だった。彼は昼寝が得意で、執務室で昼寝ばかりしていた。のちに無能な大統領の典型と言われたクーリッジだが、’70年代の終りころになると、ヴェトナム戦争の苦い経験からかアメリカでは、忙しく勤いて戦争、失業、経済赤字を招来することになったケネディ、ジョンソン、ニクソンらの大統領の評価はがた落ちし、クーリッジのようになにもしないでボーッとしていた大統領の評価が大きく高まったりした。