【研究】仮定法過去([You’d Be So Nice to Come Home To]についての考察) You’d be so nice to come home to の You would be の形は文法的には仮定法過去となる。これについては[If I Were a Bell]と[Easy to Love]でも少し触れたが、もう一度例文を示してみよう。
【研究】エセル・ウォーターズ([Taking a Chance on Love]についての考察) この歌は二番を省いて一番と三番を歌う人が多いが、ウォーターズもそうしているものの、彼女はそのあとに滅多に聞かれない四番を歌っている。
【研究】ガーシュウィン兄弟 次の日ヴァースをつくり始めるときのことを、アイラは著書でこう書いている。──「ジョージ、アイルランド的なヴァースはどうだい?」と僕がそれだけ言えば充分だった。彼はすぐに僕が言わんとしている〝思いに耽っているような孤独さ〞を感じとった。
【研究】著作権([Bei Mir Bist du Schön]についての後日談) さてこの曲[Bei Mir Bist du Schön]にはまだ著作権についての後日談がある。カーンは楽譜の出版元のカーメン社(J & J Kamen)に行き、その社主で双子のカーメン兄弟と交渉した。
【研究】コウル・ポーター 1 コール・ポーターがこの曲をつくった経緯については色いろなことが言われてきている。一説には彼がフランス外人部隊にいてアルジェリアでつくったとかいうし、またオランダ領東インド、アロール島のカラバハヒ Kalabahai (または Kalabahi)という小村の原住民のリズムからインスピレイションを得てつくったという説、ポーターがニューヨークのウォルドーフ・アストリアに泊まっていた(事実上住んでいた)とき当時売れていたラテン・バンドのザヴィア・クガトも同じく泊まっていて、彼との会合から生れたという説もある。
【研究】ファッツ・ワーラー ワーラーは自分の書いた曲をはしたがねで売ってしまうという気前のよさで有名だったようだ。二、三百ドルとかときには百ドル以下の額で売ってしまったり、フレッチャー・ヘンダーソン Fletcher Henderson にハンバーガーを九個おごってもらい、九曲書いて返したこともあった。
[You’re My Everything]You’re My Everything モート・ディクソンとジョウ・ヤング作詞、ハリー・ウォーレン作曲で、’31年のミュージカル【The Laugh Parade】 に使われた曲で、なかでジーン・オーバート Jeanne Aubert とローレンス・グレイ Lawrence Gray が歌った。
[You’d Be So Nice to Come Home To]You’d Be So Nice to Come Home To コウル・ポーターが’43年のミュージカル映画『Something to Shout About』に書いた曲で、ジャネット・ブレア Janet Blair とドン・アミーチェ Don Ameche が歌った。ブレア(’21-2007)はペンスィルヴァニアの田舎の教会のコーラスで歌っていたが、ハル・ケンプ楽団のオーディションを受けて通り、専属歌手を二年間勤めた。それからLAの Cocoanut Grove で歌っているところをコロンビアのスカウトに見出され、その直後にケンプが自動車事故で亡くなってしまったこともあって映画界入りして、これが第一作となった。
[What the World Needs Now Is Love]What the World Needs Now Is Love デイヴィドとバカラックの’65年のヒット曲で、彼らの曲としては初期のほうに属するものだ。’58年から彼らの協同の曲づくりは始まるが、[Wives and Lovers](’63)、[Walk on By](’64)、[A House Is Not a Home](’64)などがそれまでの彼らのヒット曲で、これからのちも続続とヒット曲が飛び出してくる。
[Very Thought of You, The]The Very Thought of You レイ・ノウブルが’34年につくった曲で、当時はノウブル自身のレコードとグレン・グレイのカサロマ・オーケストラのものが売れた。少したって’44年の同題名の映画『The Very Thought of You』の主題歌としても使われたが、これは映画としては駄作の部類で話題にならなかった。