第1巻」カテゴリーアーカイブ

[But Not for Me]But Not for Me

ガーシュウィン兄弟の’30年10月のミュージカル【Girl Crazy】のなかの曲で、今ではもうスタンダード曲としてあまりにも有名だ。兄のアイラの著書にはオリジナル・スコアに書き込まれていた「悲観的に、やや遅く」というジョージの指示が記されている。ジンジャー・ロジャーズ扮する女性郵便局長モリィ・グレイによって、第二幕、恋人どうしのよくある喧嘩のあとに歌われた。

[But Beautiful]But Beautiful

これは’48年のボブ・ホウプ Bob Hope とドロスィ・ラムア Dorothy Lamour 主演の映画『Road to Rio』に挿入され、なかでビング・クロズビーが歌った曲で、映画の邦題は『南米珍道中』となっていた。この『Road to…』というロードものが当時はやり、Road to スィンガポール、ザンズィバル、モロッコ、ユートピアとつづいて五作目がこの『リオへの道』で、このあともバリ、ホンコンとつづいたが、『リオへの道』が一番よく当たって、’48年の観客動員数のトップにランクされている。がこの曲[But Beautiful]のほうはアカデミー主題歌賞の候補にもノミネートされていない。

[Body and Soul]Body and Soul

Body and Soul の歌詞と日本語訳 この曲はジョン・グリーンがガートルード・ローレンス Gertrude Lawrence の伴奏ピアニストを務めているときに彼女のためにつくった曲で、ヘイマン(サウア、イートンは違う歌詞に関係あるらしいが不詳)が作詞している。まだ曲ができたばかりのときに彼女はロンドンへ行き、BBC放送でこれを歌ったことからヒットしていった。

[Blues in the Night]Blues in the Night

これはハロルド・アーレンとジョニー・マーサーの名コンビによる曲で、’41年の映画『Hot Nocturne』に入れられる予定だったが、曲のヒットとともに映画名も曲名と同じに変えられ、映画『Blues in the Night』に使われた。この年のアカデミィ主題歌賞にノミネートされたが、賞のほうはジェロウム・カーンの[The Last Time I Saw Paris]に奪われている。

[Blue Moon]Blue Moon

ロジャーズ&ハートの’34年の作だが、彼らの作品にしては映画やミュージカルに書いたのではない唯一のヒット曲ということになった。それでも最初は[The Prayer]という題でジーン・ハーロウ主演の映画に書いたのだが実現せず、次に[The Bad in Every Man]という名で書き直してクラーク・ゲイブルらの出演した『Manhattan Melodrama』という映画に使われた。

[As Time Goes By]As Time Goes By

この曲は映画『カサブランカ Casablanca』の主題歌として有名だが、最初は’31年のミュージカル【Everybody’s Welcome】のためにハーマン・ハプフェルドが書いたものだ。そこではマークス兄弟の映画にも出演していたフランスィーズ・ウィリアムズ Frances Williams が歌い、139公演を消化し、レコードはチャートに二回昇った。

[Anything Goes]Anything Goes

これはコウル・ポーターの作詞曲で、’34年の同名のミュージカル【Anything Goes】に入れられたので良く知られている。このショウは’20年代から’30年代にかけて有名なヒットミュージカルを次から次へと手がけていた、ガイ・ボルトン Guy Bolton とウドハウス P. G. Wodehouse のコンビの原作脚本で、難破船のうえで展開していく喜劇だった。

[All of You]All of You

この曲はコウル・ポーターが’55年のミュージカル【Silk Stockings 絹の靴下】に書いたもので、ブロードウェイミュージカルに曲を書くのはポーターにとってこれが最後となった。これはパリを舞台にしたソ連の外交官やスパイ相手のコメディで、面白おかしいソ連への風刺、皮肉、揶揄に満ちていたものだが、ソ連や東欧の社会主義が過去のものとなった今、多くの人にとって分厚い説明書でもつけなければ意味が理解できないものなのかもしれない。

[All of Me]All of Me

ヴォードヴィル・スターのベル・ベイカー Belle Baker が1931年にラジオでこの曲を歌って有名になった。作詞曲家マークスとスィモンズが彼女に曲を提供し、車の街デトロイトのフィッシャー劇場の舞台で彼女が歌った。ベイカーはちょうど夫を失ったところで、歌詞のなかにある個人的な喪失感にうたれて舞台で泣き崩れてしまった。新聞がそれを報じ、この曲はまもなくヒットしていった。