[You’re Driving Me Crazy]You’re Driving Me Crazy ウォルター・ドナルドソンが’30年につくった曲で、当初は映画、ミュージカルとは関係なかったようだ。がヒットしたために同年のアステア姉弟主演のブロードウェイ・ミュージカル【Smiles】に挿入使用された。
[Yes Sir, That’s My Baby]Yes Sir, That’s My Baby カーン作詞、ドナルドソン作曲で、’25年に歌手のエディ・キャンターのために書いたもので、キャンターが歌ってヒットした。また同年ジーン・オースティンの歌ったレコードもよく売れてヒットした。
[Love Me or Leave Me]Love Me or Leave Me これはガス・カーン作詞、ウォルター・ドナルドソン作曲の’28年の作品で、ルース・エティングの持ち歌として大変有名になった曲だ。エティングが同年のエディ・キャンターの主演のミュージカル【Whoopee】で歌った。
[Little White Lies]Little White Lies これは映画やミュージカルには関係なく、ウォルター・ドナルドソンがガイ・ロンバード Guy Lombardo のために書き、ロンバードと彼のロイアル・カナディアンズ Royal Canadians がレコードにしてヒットした。
[My Blue Heaven]My Blue Heaven この曲は作詩のジョージ・ホワイティングがヴォードヴィルで使ったのが最初で、1924年のことである。ヴォードヴィル vaudeville は歌、踊り、パントマイム、漫才、曲芸などをまじえたショウで、最初はフランス語でノーマンディ Normandy の Vau de Vire の詩人O. Basselin の作曲になる流行歌をさして言ったらしいが、時代が下ってアメリカでヴァラエティ・ショウに近いものをさすようになった。
[My Buddy]My Buddy ガス・カーンとウォルター・ドナルドソンのコンビで1922年に作られた曲で、映画やショウには関係なく出された。《The American Song Book: The Tin Pan Alley Era》(Philip Furia and Laurie Patterson, Oxford University Press, 2016)には「ドナルドソンの許嫁が亡くなり、彼女のことを想ってその悲しみを彼が曲にした」とある。
[Makin’ Whoopee]Makin’ Whoopee エディ・キャンター Eddie Cantor 主演の’28年のミュージカル【Whoopee】のなかに使われた曲で、ガス・カーン作詞、ウォルター・ドナルドソン作曲で、キャンターが歌った。フロウレンズ・ズィーグフェルド Florenz Ziegfeld がプロデュースし、379回も続く大ヒットだったが、ズィーグフェルドが破産して閉幕となり、そうでなければもっと続いていたろう。
[At Sundown]At Sundown これはヒット曲を多く書いていたウォルター・ドナルドソンが、’27年に歌詞、曲とも自分で書いた最初の作品である。そしてウクレレ・アイクことクリフ・エドワーズがパレス劇場で歌って披露した。
[My Baby Just Cares for Me]My Baby Just Cares for Me ガス・カーン作詞、ウォルター・ドナルドソン作曲で1930年につくられた曲だ。同年の映画『Whoopee』(United Artists)に使われ、エディ・キャンターによって歌われた。いまは有名になった[Makin’ Whoopee]も入っていて、どちらもキャンターらしさが横溢した歌であり曲である。