【研究】[God Bless America]について アーヴィング・バーリンは1918年の陸軍のショウ【Yip! Yip! Yaphank】に[God Bless America]という曲を書いたが、製作の段階で落としてしまった。それは基金集めのためのショウで、この曲は少し真面目すぎる、固すぎると感じたからだった。
【研究】著作権の問題 アーヴィング・バーリンは自分の曲に関して厳しい考え方をしていた。彼は初期の一部の作品以外は作詞、作曲の両方をやっていて、彼はそういう作品は本などでの他のソングライターの曲との混載を禁じていたのである。曲集、楽譜といったものにはたいてい多くの人の曲が載るが、彼は自分の曲は人の曲と一緒にではなく、自分の曲だけでなければ使用許可を与えなかった。
【研究】アーヴィング・バーリンの生涯 アーヴィング・バーリンの生涯は長く、それを書くのはとても短い文で片づくようなことではない。なにしろ彼は1888年にロシアに生れていて、5歳のときにアメリカに来て1989年に亡くなるまで101歳もの長寿を全うした。
【研究】アーヴィング・バーリンと著作権規定 本書の初版に私は次のように書いた。──アーヴィング・バーリンは1989年に101歳の長寿をまっとうして亡くなったが、生前、彼は自作曲は自作曲のみで出版されることを望み、自作曲が他の作曲家の曲と一緒に出版されることを拒絶していた。
[You’re Just in Love]You’re Just in Love アーヴィング・バーリンが1950年のエセル・マーマン主演のミュージカル【Call Me Madame】に書いた曲だ。そのなかではエセル・マーマンと新人のラッセル・ナイプが歌った。
[You Keep Coming Back Like a Song]You Keep Coming Back Like a Song アーヴィング・バーリンが1943年に書いたものだが、3年後のミュージカル映画『Blue Skies』(Paramount)に使われ、そこではビング・クロズビィが歌った。
[White Christmas]White Christmas おそらくクリスマス曲のなかでももっとも有名になった曲の一つで、アーヴィング・バーリンが1942年に作詞、作曲したものである。そして同年の映画『Holiday Inn』(Paramount)に入れられ、そこではビング・クロズビィが歌った。
[When I Lost You]When I Lost You アーヴィング・バーリンが最初の妻ドロスィを失った悲しみを書きつづった曲で、1912年の作品である。これは彼としては、[Alexander’s Ragtime Band]の大ヒット以来、最初の成功したバラードとなり、シート・ミュージックが二百万部以上売れるヒットとなった。
[What’ll I Do?]What’ll I Do? アーヴィング・バーリンが二番目の妻となるエリン・マッキィによせて書いた曲で、1923年9月に始まった【Music Box Revue of 1923】の上演中に途中で挿入された。そのなかではグレイス・ムーアがジョン・スティールとのデュエットで歌った。