[Get Happy]Get Happy これはアーレンとケーラーの最初のヒット曲で、’30年の【9 : 15 Revue】というレヴューに入れられた。これはアーレンの最初の出版された楽譜だったが、最初のヒット曲ともなった。
[Everything I Have Is Yours]Everything I Have Is Yours ’33年のミュージカル映画『Dancing Lady』のためにアダムソンとレインの二人が書いた曲で、そのなかでアート・ジャレット Art Jarrettがジョウン・クローフォード Joan Crawford とともに歌った。
[Let’s Fall in Love]Let’s Fall in Love ケーラーとアーレンの二人の最初の映画の仕事となった’34年の映画『Let’s Fall in Love』の主題歌で、映画ではアーサー・ジャレット Arthur Jarrett、アン・サザーン Ann Sothern によって歌われた。
[As Long as I Live]As Long as I Live アーレンとケーラーは1932年から’34年まで三年つづけて【Cotton Club Parade】というダン・ヒーリィ Dan Healy 演出製作のコットン・クラブでのショウをてがけている。
[Man That Got Away, The]The Man That Got Away ハロルド・アーレンが書いて、アイラ・ガーシュウィンが歌詞をつけ、1953年の映画『A Star Is Born』に使われた曲である。そのなかではジュディ・ガーランドが歌い、以後彼女の得意のナンバーになった曲だ。
[Come Rain or Come Shine]Come Rain or Come Shine マーサー/アーレンの1946年のミュージカル【St. Louis Woman】に挿入された曲で、スタンダード曲らしい粋な雰囲気をもっている。歌詞もメロディも難しくはないが、コードが幾通りにも考えられる幅の広さのようなものをもっていて、歌っている人も多いが、ビル・エヴァンスのように独自のコードづけをして演奏している例もある。
[One for My Baby]One for My Baby ジョニー・マーサーとハロルド・アーレンによって書かれ、’43年のRKO映画『The Sky’s the Limit』に使われた。なかでは主演のフレッド・アステアがこれを歌ったが、彼が凱旋した空軍の飛行士の役で、初めて白のタイと黒い燕尾服を着なかった映画だと言われている。しかしこの映画は成功せず、そのままポシャってしまった感があるが、もう一曲この二人が書いた[My Shining Hour]も入っていて、これは’43年のアカデミー主題歌賞にノミネートされ、この2曲は大成功した。
[Blues in the Night]Blues in the Night これはハロルド・アーレンとジョニー・マーサーの名コンビによる曲で、’41年の映画『Hot Nocturne』に入れられる予定だったが、曲のヒットとともに映画名も曲名と同じに変えられ、映画『Blues in the Night』に使われた。この年のアカデミィ主題歌賞にノミネートされたが、賞のほうはジェロウム・カーンの[The Last Time I Saw Paris]に奪われている。
[My Shining Hour]My Shining Hour これはジョニー・マーサー作詞、ハロルド・アーレン作曲でつくられ、1943年のミュージカル映画『The Sky’s the Limit』(RKO)に使われた曲だ。そのなかではフレッド・アステアが歌った。
[Last Night When We Were Young]Last Night When We Were Young E・Y・ハーバーグとハロルド・アーレンが、1935年の映画『Metropolitan』(20th Century-Fox)に主演したバリトン歌手のローレンス・ティベットのために書いた曲で、当然ティベットがそのなかで最初に歌った。