ディック・ジョンソン Dick Johnson がアーティ・ショーに彼の新しいバンドの音楽監督として選ばれたとき、ディックは西海岸の楽器屋に電話して新しい譜面台を注文した。電話を受けた若い男はとても親切で、色や重さや字体のデザインなどを説明してくれた。ディックは彼に譜面台の前面に〝The Artie Shaw Orchestra〞と入れてくれるように注文した。
がディックは二つの間違いを犯した。彼はアーティ・ショーの名は誰でも知っていると思っていたから、その名の綴りを言わながった。でもその係員は若くて’40年代のスターなんか知りもしなかった。ディックのもう一つの間違いは自分がマサチューセッツ州フロクトンのひどい訛りの持ち主だということを忘れていた。譜面台が届くと、そこに美しく彫られていた名前は〝The Ottie Shore Orchestra〞(オッティ・ショア)となっていて、結局、ディックはそれを全部自分の家へ持ち帰るはめになった。